【ビューティフルハミングバード】ひとりひとりの「聞こえ」
はたして音はみんなに同じように聞こえているのだろうか。それぞれが違うだろうし、年齢によっても変わってくるだろう。みんながいつまでも音楽を楽しめるために。みんなで音楽を楽しむ空間を共有できるために。「聞こえ」について考える。
取材・文 = 菊地 崇(JMFA会長)
写真 = 須古 恵
––– まずふたりで活動するようになったきっかけからお聞きしたいと思います。
光子 大学を卒業してから結成したんですけど、そもそもふたりは高校の同級生なんですね。私は歌うことが好きで、小学校1年の頃からNHKの児童合唱団に入っていたんです。高校時代のタバティは吹奏楽部でサックスを吹きながら、いっぽうでバンドも組んでいました。将来は歌を仕事にしたいなってずっと思っていました。それがどういう形なのかはまったくわからなかったのですけど。
––– 歌うことを仕事にしたいとなんとなく思い描いていたのですね。
光子 いつか一緒にできたらいいよねっていうようなことを高校時代に話したりはしていたんです。でも特にふたりで何かをやるっていうことはなくて。大学を卒業するってなった頃に「ちゃんとやってみようか」っていう話になって。そこからですね。
タバティ バンドをやっていましたから、一緒にやろうってなったときも、最初はふたりではなくバンドを想定したんです。周りにいたみんなが就職してしまって、本気で音楽をやっていこうっていう仲間がいなかったんです(笑)。それで自然とふたり組になって。
––– どんなスタイルで曲を作っているのですか。
タバティ バンドで僕がそれまでやっていた作り方と、みっちゃん(光子)の作り方が最初は噛み合わなくて。僕ははじめに曲を作って、それに詞を乗せて歌にしていくっていう作り方をしていたんですけど、それがはまらなくて。じゃあ、最初に詞を書いてみようと。
光子 合唱団で歌っていると、言葉に沿ったメロディがいっぱい出てくるんですね。言葉に沿ったメロディで歌を歌うことが、すごくかっこいいと思っていたんです。だからどういう詞を書いてみたいのかっていうのが先にあって。書いたものをどういうメロディで歌ってみたいかを考えていく。だから歌詞っていうよりも詩。詩を書いて、タバティに見せて、気に入ってくれたら詩を真ん中に置いてメロディを紡いでいく。今でもほとんどがその作り方です。
––– 「あなたのための音」を届ける音楽コンテンツとして今年スタートした『音聞』。2月に初の公開イベントが開催されましたが、ビューティフルハミングバードがそのイベントに出演なさいました。「音のバリアフリーを」という『音聞』について、最初はどう思いましたか。
光子 聞こえ方について考えてみるっていうことを一緒にやってみたいなって思いました。今まで自分たちがいろんな場所でライブをやってきて、出ている音が自分たちの音楽を聞くには大きすぎるんじゃないかって思ったこともありますから。
––– 確かにステージに立っていると、オーディエンスがどう聞こえているのかわからないことも多いと思います。
光子 実は2016年くらいから、なんとなく耳の調子が悪いなって感じるようになって。それに気づいたのはアジアツアーに行っていたときだったんですけど、短期間で飛行機に何度も乗っての移動だったから、気圧の変化で調子が悪くなったのかなって思っていたんです。現れては消えるみたいなことがずっと続いていて、そのうち耳の不調とともに、発声の不調も出てきてしまったんです。
––– 聞こえにくくなったことで、自分の思うように歌えなくなったということですか。
光子 いざ自分がそうなってしまうと、意外に手の施しようがないというか。どうしたらいいのかわからなくなって、声の病院の先生に相談したら「耳管が開いたままの状態になってしまう耳管開放症だろう。耳の専門の先生に診てもらったほうがいい」と紹介してくださって。それが2年前くらいのことです。
––– 7年くらいは調子が悪いままでの活動だったのですね。
光子 病院に行けばいいっていうことさえ頭に浮かばなかったんですね。調子のいいときもありましたし、歌っていればいつか戻るんじゃないかって思っていましたから。耳の先生曰く「歌を歌うということは耳にものすごい圧をかけていることなので、歌の仕事をしている人が耳管開放症になることは、必然といえば必然なんですよ」と。「手術するほど大きく広がっているわけでないので、様子を見ていきましょう」と言われて、半年に1度検査を続けているんです。
––– タバティさんは、この光子さんの耳のことを最初に聞いたときにどう思いましたか。
タバティ ギターは弦を張り替えれば音はまた元どおりになる。けれどボーカリストにとっての声は替えがあるものじゃないですよね。耳の調子が悪くなって、喉の調子も悪くなって。その気持ちにどう寄り添えばいいのかってすごく考えました。良くなってほしいと願っているいっぽう、ある種の覚悟みたいなものもありましたね。
光子 ライブでヘンテコな歌になってしまったこともあったんです。恥を晒して、覚悟してライブしていましたね。
タバティ それでもライブを休むことはなく。
光子 調子が悪かったとしても、タバティが「良かったよ」って言ってくれたことで、なんとか(笑)。歌う人に限らず、何かしらの表現をする人はみんな同じだと思うんですけど、自分がうまくできたかどうか不安なんですよ。「良かった」って言ってもらえることで、じゃあ次はもうちょっとだけ進めればいいやって思える。自分でよく歌えたなって感じられる日、他の人が「良かった」って言ってくださる日。それはどっちも嬉しいんですね。嬉しいという気持ちをもらえること。それが自分にとって歌だし、歌うっていうことなんです。それが大好きなんです。
––– いろいろな気持ちの揺らぎもあったんだと思います。
光子 自分の困りごとをうまく解消したり、付き合ったりっていうタイミングで『音聞』は「聞こえ」についてのプロジェクトだっていうことをお聞きして。だから一緒に考えたいなって。自分が経験したことで、他の歌い手さんも、このことで悩んでいる人もいるのではと想像できるようになりました。
––– 『音聞』のイベントの際も、難聴の方が参加なさっていました。
光子 その難聴の方とイベントが終わってからお話ししたんですけど、音楽が好きと仰っていて。「ライブにすごく行ってみたかったけど、行っても楽しめるかどうかわからないので参加したことがなかった。今回は『聞こえ』について考えるイベントだったので来てみました。そしてライブって楽しいって初めて感じられました」と。
––– そういう声って嬉しいですよね。
光子 すごく嬉しかったですね。集まったみなさんが「聞こえ」についてみんなで考えてみようという雰囲気に包まれていたからこそ、その方も楽しい気持ちを持って帰られたんだと思います。みんなが同じじゃない。耳の不調とか聴覚障害がある人もいるんだっていうことを知っているだけでも、会場の雰囲気って変わるかなって。そのふんわりした何かが、当たり前のようにいつもあればいいのになって思います。
––– いろんな人が同じところにいて音楽を楽しめる。それがライブでありフェスなんだと思います。みなさんが許容し共有する場所。
光子 ちっちゃい子もいるしお年寄りもいる。そんなライブって本当にいいと思いますね。イヤーマフについても、最初は「あれ、あの子は何をつけているんだろう」って思っていたんですね。だけれども大きな音は子どもにとって良くないから、イヤーマフは耳の保護のためなんだっていうことを知って。知ることで、「耳は守らなきゃいけないものなんだ」とか「大きな音じゃないほうがいい人もいるんだ」っていうことを想像できるようにもなれると思うんです。
––– 今、耳の状態はどうなのですか。
光子 今はすごく良くなっています。今年に入ってからの検査では、耳管がだいぶ狭くなっているとのことでした。耳の調子が悪くなったことで、はじめて耳は劣化していくものだと知りました。それはちょっとホッとしたことでもあったんです。みんな年齢を重ねていくことで耳の聞こえは悪くなっていく。だからこそ、それぞれの人に合った音楽の聞き方があるんだろうし、楽しみ方があるんだって。
––– 音楽は、それぞれの人が、どう聞いても、どう楽しんでもいいものですから。
光子 好きな聞き方をしていいし。ひとつの場所に集まっても、好きな聞き方を選べていいと思うし。そういうことがじわじわ増えて行けばいいなって思います。
高校、大学の同級生だった小池光子(ボーカル)とタバティ(アコースティックギター)のふたりで2002年に結成。あたたかさと力強さを合わせ持つ声と、しなやかなアコースティックギターの音色が独自の世界を生み出している。2022年に7枚目のアルバム『Sincere』をリリース。日本のみならず、アジア各国でも公演をしている。
音楽の素晴らしさや楽しさを通して「あなたの耳」に届けやすい音で音楽を届けるプロジェクトとして立ち上がった『音聞‒OTOGIKI』。最終目標はすべての人が音楽を平等に楽しめる社会の実現。音のバリアフリーを考えるポッドキャスト番組を2025年2月に始動。第1回のライブ&トークイベントにビューティフルハミングバードが出演した。
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